鶴瓶・上岡パペポTV
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PAPEPO FOREVER

What's PAPEPO
『鶴瓶・上岡パペポTV』とは、1987年4月14日から1998年3月31日にかけて、よみうりテレビ制作(日テレ系列)で放送されたトークバラエティ。昨今のお笑い番組に見られるような騒々しいテロップが一切無く、素材をそのまま切り出したような造りが特徴。今なお多くのファンが存在する。
笑福亭鶴瓶
1951年生まれ。六代目松鶴の十一番弟子として落語家デビュー。実体験を基にした鶴瓶噺には定評があり、ラジオパーソナリティ時代以来の根強いファンが多い。若手芸人のようないじられキャラから、映画俳優までこなすマルチタレント。ベーさん、ベー師匠の愛称で親しまれている。
上岡龍太郎
1942年生まれ。漫画トリオのメンバーとして漫才師デビュー。後年のファンからは『探偵!ナイトスクープ』の初代局長として知られる。切れ味鋭い毒舌家ながら、愛嬌のあるキャラクターが愛された。2000年をもって芸能界を引退。占い師・心霊にまつわるエピソードは今もって語り草。
No.367
1994/08/05

上岡龍太郎

No.367 は、鶴瓶食当たりのため、龍太郎師匠一人きりの登場。独演会を連想させる、丁寧かつ慎重な語り口で、自らの半生と今後の展望を語った。「マラソンが好きになった理由」、「老後はどう過ごすか」、「古代史好きになった理由」、「ノックさんとの出会い」、「松葉家奴さんとの出会い〜楽屋での思い出」、「芸人論」など。後半は、野球にまつわるトーク。「野球のルールを変えよう・スリーフィートラインの廃止」、「犠牲フライを防ぐ方法」でエンディングへ。

今日の鶴瓶噺

(食中毒で鶴瓶ちゃんお休み)

今日の上岡語録

(今日は一人きりのパペポです)――「というわけで、鶴瓶ちゃんが、今朝早く亡くなりましてね。…ホントに亡くなってたらどうすんねん! ワーワー笑ろてるけど!」

(今日は鶴瓶ちゃんは居ませんよ)――「僕だけの、僕の好きな話を、客の迷惑省みず。だからテレビ観てる人。今日はオモシロないですよ。だからもしも面白くないテレビがイヤやと思うなら、今のうちに消して寝なさい。『明日の朝刊』 で眠たくなってる人は無理です」

(マラソンは苦痛ではありません)――「 "ゴルフばっかりして! " とこう言われるんですが "先週マラソン走って、今週も日曜日にマラソン走りました"って言うたら "立派ですねえー !! " …僕らにしたら、ゴルフしてるのと変わらん、遊んでるのに誉められるというのは、これはまだまだ、走るということに対して、日本はとにかく、走らすことを罰に使こてきましたからね」

(老後の予定)――「京北市あたりにちょっと土地でも買うてね。庵を建てましてね。この庵に、名前も決めてるんです。都を離れて美しい庵と書いて、これをトレビ庵と名付けましてね。そのあたりをトレビ野と名付けましてね」

(授業は大嫌いでした)――「通知票みても、どの学期どの担任にも "落ち着きがない" って書かれた。そら落ち着いてられんですよ、あんな授業では。つまり、周りがアホばっかりでしたから。アホがうつると思いましたんで僕は。このままいてると」 , 「最初からついていけなんだワケやない。途中までは私のが先行ってたんですよ。途中からついて行けんようなっただけで。これの悲哀っちゅうのを母親は知らなんだんですねえ」

(授業に納得がいかなかった)――「全員を集めて授業をするんですが、答えは一つなんですねえ。これに 50 人が掛かってやるという。どうも納得がいかなんだ。先生は、なおかつ答えを知っとるんですね。知ってるくせに聞くんですね、こっちに。あれが僕には許せなんだ」

(趣味は古代史です)――「よう聞かれるんですが、"上岡さんの説は? " って聞かれる。私の説はないんです別に。僕は学者ではありませんからね。いわば僕は王様ですから。王様は自分では勉強しないんです。王様というのは周りに学者を集めるんです。カネでね。僕の場合も学者に命じてあるんです。魏志倭人伝にある、三世紀に日本列島にあった国の所在地を調べろと。僕は命令したんです。いろんな人たちが調べて、これが報告書を出すわけですよ。本当の王様なら報告書が手元にタダで来るんですが、私の場合は本屋行って報告書を買わなイカン。情けない王様ですけども」

(思い出のトランプ博打)――「ブラックジャック、トゥエンティワンというやつですね。昭和 38 年の 10 月に、フェアレディという車を買ったんですが、そのフェアレディの半分はノックさんのカネでしたねえ…」

(芸人稼業)――「ホンっト、この世界ラクですよ。こんなラクな世界ないでしょう。……売れればね」

(芸人を買いかぶるな)――「政治家がホンネをやられたら堪ったもんやない。政治家というのは見事な建前をキチッと演じてくれないかんですよね。それが学校の先生であり大学教授であり裁判官であり、社会の木鐸といわれる一流企業のトップの人たち。ところがそれが全部揺らいでしもて、全部ダメやから、しわ寄せがどこに来るかいうと、テレビに出てる我々に来るんですね。テレビに出てる以上は芸人といえども一般人としての良識を持たなければいけない、と。良識があったらこんな仕事してないんですけどね」

算数の授業がキライでした

上岡「 "タンスの中に白足袋と黒足袋があって
まちがいなく一足取り出すには
最低何足取り出せはいいでしょう" とかいうて
"ハイ! " とか言うてやらす。あれがキライでねえ。
"タンスの中に足袋が入ってんにゃったら
 ちゃんと目で見て" … "停電になったとして! "
"それなら懐中電灯を持ってくればいいんじゃないですか? "
"懐中電灯もないんです"
"蝋燭で見れば分かんのとちゃいます? "
"蝋燭もないんです"
"へーえ。蝋燭も懐中電灯も無いような家が
 なぜ足袋がそないようけあるんですか?
 足袋は二足にして蝋燭買うたらどうですか? "
 ―― "もう、アンタ計算せんでよろしい" ――と」

THEME SONG : GIVE IT UP / CUT'N'MOVE

BEGINNING DIALOG : 「というわけで、残念ながら、鶴瓶ちゃんが今朝早く亡くなりましてね」

ENDING LETTER : 書いてある通り "スミトモタロウ" で振り込んでしまった弟

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