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逆説の黒歴史 [12] 人類黄昏編

ニュータイプはどこに消えたのか

逆説の黒歴史

∀とガンダムシリーズを語る上で避けては通れないもの。
それが黒歴史。
黒歴史とは、ガンダムによる歴史である。
∀ガンダムの世界より遥か太古の昔、地球圏を舞台に繰り広げられた宇宙戦争――。正歴2345年の現在においては、「冬の城」のライブラリーに残るだけのその最終戦争の記録。黒歴史とは、無数のガンダムによって引き起こされた宇宙戦争の歴史のことである。

この「ガンダムによって」という部分は、ときた氏のコミックによって語られる黒歴史だ。
確かに宇宙戦争の主役を担ったのはガンダムである。
作品がガンダムという名を冠する以上、ストーリーの主導権を握るのはガンダムでしか有り得ない。しかし、ガンダムはその時々において味方する陣営を変えてきたMSである。時には地球市民の味方として宇宙移民者弾圧に手を貸し、時には地球の清浄化を叫んで地球に攻撃を加え――。黒歴史とは、度重なる宇宙戦争に命を投げた、地球人類の歴史そのものなのだ。

ときた氏の記述通り、ともかくしてガンダムによって口火が切られ、そして収束された宇宙戦争の数々は地球と人類に大きなダメージを与えた。そして生き延びた人々は、新天地を探して外宇宙へと旅立っていったという。「ガンダムによって」という記述を除けば、佐藤氏も福井氏も、そして大御所・富野氏の描く黒歴史も、大まかにしてそのようなものである。 ここでは、原作の富野氏、そして特に詳細な黒歴史の真実を書かれた福井氏、お二方の描かれた黒歴史について、私の乏しい推理力を働かせながらも精一杯シャカリキに解説してゆこう。

最終戦争について

新書版においてハリーは、反抗者グエンと地球で無法を働くフィルを撃滅せんがため、月地下に眠るある巨砲を発動させた。その名を「カイラス・ギリ」。これは新書版のみならずアニメ版にも出てきた名前で、月を直撃しようとするミスル・トゥの処置を巡り、この兵器の使用が叫ばれる場面がある。
無論、語るまでもなくこの元ネタはVガンダムのカイラスギリーにこそある。なるほど、あれだけの兵器ならばウィルゲムやソレイユが如き戦艦など、一撃のうちに消し去ることが出来るだろう。返す刀で小惑星ミスル・トゥを破壊せしむるだけの威力をも持っている。

しかしよくよく思い返してみると、この兵器には謎が多い。
この巨砲の登場したVガンダムにおいて、果たしてカイラスギリーは最後にはどうなったか。ザンスカールが建造しながらもリガ・ミリティアに奪われ、逆にベスパを討つための道具とされてしまったカイラスギリーである。なぜ、そんなものが月面都市に埋まっているのか。確かにリガ・ミリティアの拠点は月面都市セント・ジョセフにあった。月にまつわる勢力が持っていることに不思議はないのだが――。

ところが、リリ・ボルジャーノの語るところによれば最初の宇宙世紀とは一万年(映画版では五千年)も前の存在。それがなぜ、そののち誰にも解体なり破壊なり朽ち果てるなりせず、一万年ものあいだ月に放置されていたのか。カイラスギリーが眠っていたのは、半ば精神錯乱を起こしていたような黒歴史最後の人類の話ではない。あれだけの破壊力を持つ兵器なら、そののち連邦なり議会軍なり、革命軍なりOZなりが利用しようとした筈である。だが、歴代ガンダム劇中にその描写は一切無い(作家さん方も、まさか黒歴史なんてもので括られるとは思わなかっただろうから)。――では、あのカイラス・ギリとは一体何なのか。

私の見解はこうだ。
あれは、あの時のカイラスギリーではない。名前だけを戴いた別物――もしくは、設計やパーツのみを流用しただけで、根は違うものである。

新書版には、カイラス・ギリに関してこのような記述がある。
「対異星人襲来用地球圏防衛最終兵器」、「月面都市の市民を避難させた上で使われるべきもの」。この「異星人」の部分を、ロランは馬鹿げていると感じるのだが、我々がVガンダムで観て来た通り、ザンスカール帝国はそのような目的を持ってはいなかった。静止衛星軌道上に配備されたあれは飽くまで連邦を黙らせるためのものでしかなかったし、スクィードは外宇宙に出る能力を有してはいたが、異星人を征服するための艦ではなかったではないか。

ロランの抱いたこの「馬鹿げている」という感情は、劇中「冬の城」の黒歴史再生の場面において、彼が「地球圏の人間同士」の宇宙戦争しか見ていなかったところから発しているのに違いない。我々視聴者もそうだ。
――だが、真実は違う。
UC、AW、AC、CE、FC、その果てに起きた、地球人と宇宙移民者の最終戦争――。明確な形での富野氏の描写はなく、福井氏の記述でも曖昧なまま伸ばされている人類の最終戦争が、この間にはひとつ挿まれているのだ。

最終戦争――アグリッパが口にした、アーマゲドン。
それは、地球において争われた地球人と宇宙移民者との間に起きた黒歴史・最後の戦いのことで、黙示録にも記されていない人類の黄昏である。
外宇宙の彼方より母星へと戻った宇宙移民者は、地球を欲して地球人と戦い、その結果、惑星そのものに壊滅的な打撃を与えた。そして遂には地球を手にすることを諦め、さらには戦争の愚にすら気付き、ニュータイプへの進化を果たして、見果てぬ外宇宙へと旅立っていった。
地球に攻め入った彼らは、「スペースノイドの末裔」と推測が立つ。

この最終戦争において地球人は、根源を同じくする宇宙移民者を指して「異星人」と呼び、この迎撃にカイラス・ギリを用いたのではないだろうか――。
彼らを水際で撃退するためのカイラス・ギリ。これが実際に放たれたのかどうかは定かではないが、超未来人を相手にして、まして本当の異星人が相手では力不足。たかが衛星軌道から地球の一都市を破壊するだけの威力しか持たない兵器では、いかにも頼りないだろう。
それにやはり、宇宙世紀153年に建設されたものでは余りに年が離れ過ぎてしまう。どうにも有用とは思えず、「人類が造り得た最大の破壊兵器」という記述にもそぐわない。
文庫版に登場するブラックドールも同様だ。いかにサイコガンダムが強大なものとはいえ、黒歴史最後のMSと互角に戦いうるわけがない。ザクやカプール相手にも苦戦する平和ボケしたディアナ・カウンターのMSが相手ならばまだしも、世界を埋葬するほどの力を持った∀を相手に、対等たりうるわけがないではないか。

外宇宙へ行く力をも手にしたスペースノイドとの戦いに際して地球側は、月を本拠地にあの巨砲を配備した。
これは飽くまで配備であって、設置ではない。月面都市に埋め込まれ、トレンチ・シティに加速器を置いての発射をその運用方法としたのは後の世の話だ。加速器を始め、砲そのものまでが宇宙空間に浮かんでいたに違いない。――ではなぜ、そのように断言できるか。
それは、カイラス・ギリの照準が地球側を向いているからだ。
ソレイユのフィルを直撃できたのは、地球から見ての月の正面――ウサギの居る側――に砲塔が存在するからで、ウィルゲムを狙えたのも彼らが地球へ向かっていたからである。例えば月面に海(「静かの海」ではない。LUNASEAでもない。本物の海である)があって、その洋上を砲門だけがふよふよと滑って「トゥール・ハンマー発射ァーッ!!」などと反対側の敵を狙えるような仕組みでもない限り、これでは外宇宙からの侵略者に対処できない。地球を背に艦隊を布陣されては堪らないではないか。

それに第一、月面都市に埋め込まれた兵器に、カイラス・ギリなどという名前を付けるものだろうか?
仕組みから外観までが、カイラスギリーとよく似ていたからそう名付けたのだろう。
故にあのカイラス・ギリは、正暦になってソレル家が市民に戦争の愚を説いてから月に埋め込まれたと考えるのが一説。

そして、カイラス・ギリ所有に関する解釈に、可能性は薄いがもう一説ある。それは、カイラス・ギリは外宇宙側の持ち物で、彼らが地球を引き上げた後、ムーンレィスがそれを自らの防衛用に奪取したというもの。ターンXの頭部にカイラス・ギリのコントロールシステムが内蔵されているのがその根拠だ。
しかし、ハードウェアというものは進化する。
かつて地球侵略に用いられたものが、再度の侵攻に際して必ずしも有効であるとは限らない。さらなる破壊力を以って地球に迫る筈だ。そのようなものを拠り所とするわけには、ムーンレィス側とていくまい。

しかも、この説には決定的な穴がある。
それはカイラス・ギリに添えられたバグの存在だ。ムーンレィスの拠点防御用に配備されたバグは∀を襲った。
外宇宙から漂流してきたターンXは外宇宙側の持ち物。「10番目の星により道を曲げられたもの」という意味をもつこの地球外の機体を敵と見なして襲ったのならば理解もできるが、ターンXと相対する∀を襲うのは何故か。メリーベルが語ったように、かつて∀を倒し損ねたターンXである。∀とは、地球陣営の一員として戦ったMSなのであろう?
では、カイラス・ギリが敵とする「異星人」とは一体誰のことだ?――カイラス・ギリの照準は地球を向いているというのに。さらに付け加えれるなら、月オリジナルメイドのMSスモーと、超文明∀のコクピットの類似はどう説明できるだろう(後日追記。これらMSを焦点に黒歴史を研究する際は、DS版のセンチュリオ・シリーズにも注意を払う必要があるだろう。あれらMSのデザイン的なエッセンスは、ターンXへと受け継がれていると思われる。最近のスパロボのヘブライなネーミング以上に、センチュリオ・シリーズのロマ〜な名前には幼さを感じさせられつつも)。

やはり導かれる結論はこうだ。
外宇宙側は地球を手に入れようと戦ったが、地球環境の破壊を続けるあまり、遂には「萎えて」しまったのだ。
彼らは地球から手を引き、結果として地球側は勝利を収めた。
そして、外宇宙側は地球を巡っての戦争の愚に気付き、とうとうニュータイプへと進化、外宇宙に向けて人類社会を構築していったに違いない。

だからこそ地球と月に住む人々は、ギリギリの防衛戦の勝者でありながらも人類の棄民なのである。
自らの故郷を破壊されての勝利――。どうやら一時的な和平もあったらしい。
ザックトレーガーの存在は、アースノイドとスペースノイド最後の「共同事業」を教えてくれる。戦時中であれば、あれほど大規模な施設は建てられまい。これ以上の惨禍が繰り返されないと解っていたから彼らは地球再生に乗り出し、ナノマシン散布装置――主目的は「軌道エレベーター」に代わる大気圏離脱をサポートするためのものとされているが――を建造する。

「人類がたったひとつ地球に施した善行」がこれだ。
花咲爺の童話になぞらえ、ザックトレーガーはナノマシンという灰を撒く。その肥やしが∀。
枯れた地球大地に再びの恵みを与えるため、幾千万回の戦争を繰り返しても再び人類が再生を果たせるよう、マウンテン・サイクルに残された数多くの兵器と共に、∀は地球に眠る。アニメ版で月光蝶が消し去る場所に何かの工場か都市の跡が見られるように、あれはきっと戦後処理だったに違いない。ザックトレーガーと二個一での戦後処理。古代文明の埋葬。あるいはそれは、「栄華に任せた」とある通り、原点回帰という盲信の熱狂のうちに進められたものだったのかも知れない。

その一方、破壊された地球の再生を見守り、いつの日か訪れる帰還を待っていたのが、月に住むルナリアン。
――ディアナやハリーたちの祖先だ。
第四の勢力も存在する。外宇宙勢力との和解を果たしてなお、地球への残留を望んだ地球人、または、地球を破壊してまでの戦争にさえその愚に気付かず、いよいよ味方からも切り捨てられた外宇宙人である。
彼ら「完全なるオールドタイプ」たちの末裔が、グエンやキエルなのだ。

外宇宙側が後者を認めたのかどうかは解らないが、彼らは彼らなりに賢明であった。
なぜなら自らの記憶と歴史を停滞されることで、再度の大戦争に安全弁を付けたのだから。
しかも、後にディアナが理想を見いだすことになる「生と死のある生活」を、敢えて企図することなく、遙か二千年も前から自然と実行に移していたのだから――。

一方、なまじの技術力を残したが故に彼らとは考えを異にしたムーンレィスたちは、地球人の住まう場所・地球を、闘争本能の蘇る禁忌の土地として目を背け、冷凍された女王などという、生物として異様な存在を作り出してしまった。ウィルゲイムと出会うことで地球人の正しさに気付いたディアナは、やはりアグリッパたち保守的なムーンレィスにとっては異端の存在だったのであろう。

ニュータイプについて

さて、先ほど述べた地球人と宇宙移民者との最終戦争は、ムーンレィス社会の確立からおよそ2400年前の出来事である。

人類の最終戦争をその眼で見たという、アグリッパの瞳は赤い。
結局彼はそれほどの人生を送ってきたわけではなく、その欺瞞はディアナによって看破されてしまうのだが、それでも初代アグリッパは最終戦争を目撃していた筈だ。この時代の宇宙移民者とは、半ば本当の意味での宇宙人――地球外生命体のような存在だったのだろう。MADWANG1160で語られる「外宇宙連邦」という存在がこれに違いない。彼らは地球圏と争いながらも、外宇宙へと勢力を伸ばしつつあった。

それでも戦争をやめられず、地球と争い続けた彼らは、やはりまだニュータイプではなかったのだろう。
しかし、地球と繰り広げたアーマゲドンが、彼らをいよいよ真のニュータイプへと進化させた。
――アグリッパは言う。「ニュータイプとなった人類は、外宇宙へと旅立っていった」と。
ディアナは「アナタがそれを見たのか」と水を注すが、彼女のは人類の革新を信じての言である。事実、ソレル家やメンテナー家の祖先はそれを見たのだろう。ルナリアンの生き残りにして、飽くまで母星としての地球に固執し続けるムーンレィスも、やはりニュータイプなどではない。
真なるニュータイプは、もう地球圏にはいないのだ。

一万年前、レビルは言った。「ニュータイプとは、戦争をしなくてもよい人類のことだ」。
外宇宙へと旅立っていった人類がニュータイプとなったのならば、きっと彼らはもう戦争の歴史を繰り返すことはないだろう。そう悟ったからこそ、ソレル家はカイラス・ギリを月面に引き戻したのだ。あれが地球を向いているのは、地球に住む者達の性根の恐ろしさを充分に感じていたからである。
開眼した外宇宙の人間よりも、野蛮な地球人こそが真に恐ろしい――。
オールドタイプ同士の近親憎悪が、アグリッパのような盲信者やテテスハレ親子のような迫害の悲劇を生んでいたに違いない。

だが地球に住む連中は置いても、外宇宙に住む人々は地球の重力を振り切って、二度と地球圏に戻ってくることはないだろう。我らの愛するアムロやシャア、東方先生や、あまり愛しちゃしないけどキラヤマトにカガリすら呑み込み、以降数百年に渡る戦争で、幾万幾億の命をも呑み込んだ地球の重力。
多くの指導者の我を育て、互いの理解を妨げ、ガンダムという戦争アニメが戦争アニメとして存続しうる根拠。「地球の重力」が存在せぬ処に戦争は起こりえず、全ての人がニュータイプとなったならば、ガンダムがガンダムとしてすら存在しえない完全なる悟りの境地に、彼らは到ったのだ。
これは、かつてリリーナが唱えた「完全平和主義」などというイデオロギー的なものではない。
幾多の戦争を経て、永い永いアーマゲドンの時代を経て、人類は生物として進化したのだ――(後日追記。管理人久川によるこれら厭世的な"ナウシカ・ドラグーン史観"は、あきまんこと安田氏の外伝解釈が生まれる前に記されたものである。エースに掲載された外伝によると、外宇宙に旅立った新人類は、宇宙領土拡張の末に地球の位置座標さえ忘れた開拓民だと説明されている。そして、月に残された転送ゲートが開こうものなら、遙かに進んだ科学技術を持ったそれら文明人たちが地球にとって返し、ムーンレィスを滅ぼす危険性さえあるのだという。が、福井小説版は∀に残されたメモリーという"一次史料"であるのに対し、あきまん版は実証不可能の伝説的な新人類像であるし、書き換えるのも暑いししんどいので、その概要を記すにとどめた。なお、冬の宮殿が古代の宇宙船をベースに建てられたという記述は特筆に値する)。

しかし、ムーンレィス指導層の心に残る外宇宙人への微かな恐怖と、地球人への大きな危惧が、ソレル家にカイラス・ギリの解体を躊躇わせた。ニュータイプにはあんなもの必要ないし、「闘争本能」などという言葉で自戒する必要もないではないか。このことが、ソレル家を始めとしたムーンレィス指導者層に「ニュータイプは一人もいなかった」と思える所以だ。
ディアナも然り。終盤ムーンバタフライを駆って戦った彼女もまた、ニュータイプではない。「古きを恐れず」というグエンの言にも一理あるが故に、それを否定するために戦ってしまったディアナは、結局「我を通した」オールドタイプなのだ。彼女は自分をよく弁えている。ロランを指して言った「あなたはニュータイプ」という言葉には、哀しいかな女王ディアナの一層の弱さが見て取れる。

私は、今まで観てきた様々なガンダムという作品を基に、ニュータイプという存在を次のように定義している。
「以心伝心によって、相手の本音を感じられる人々。戦いを嫌う人々。どうしても戦わねばならないときでも、主義主張や体制にできるだけ関わり無いところで戦える人々。財産や家名、地球に固執しない人々」。

無論、真なるニュータイプは戦争をしない。
だが、ジオン・ダイクンが唱え、敵将のレビルまでがその存在を信じたニュータイプ、「戦いに疲れた人々の生んだ願望」たる「発展途上のニュータイプ」に当てはまるのは、一年戦争当時のアムロをはじめとして、ララァも、彼女と出会った直後のシャアもそうだろう。ジュドーやプル、クェスにシーブック、ウッソもそうに違いない。シローやコウ、Gガンダムの住民はどうだろうか。彼らの場合、愛やら意地やらに依るところが大き過ぎるような気もするが……(後日追記。後になってウィキペディアで読んだのだが、どうやら「コズミック・イラは∀の後か前か」という議論があって、そこでは「∀よりSEEDのほうが後に制作されたのだから後だ」という意見さえ出ていたという。黒歴史との位置関係についてはさておき、さきの意見は反証するにも値しないオサルの浅知恵であろう。お分かりにならない方は、スターウォーズのDVDをエピソード1から順番に並べて、その制作年を調べてみるがいい。あるいは、スト2でガイルのエンディングを見た後、ストZEROをナッシュで遊んでみるのもいいかも知れない。ゲームかよ。――それはさておき、歴史の順番的には、やはり∀のほうが後だと私は考えている。なぜなら、SEEDの劇中に月光蝶またはムーンレィスの都市以上のオーバーテクノロジー描写は一切ないし、クジラの風呂敷ひとつも畳めない三下作品が∀の後というのもチャンチャラおかしいし、『ターンエーの癒し』で監督が嘆いた平成ガンダムの閉塞感を再び呼び起こした作品を、それを打破すべく作られた∀の後に、設定上とはいえ置いてしまうのは、情においてしのびないものがあるので、あるいはXの時のようにパラレルという安易な解決方法を採らない限り、Wの前に差し込むのが正しい処置だと私は思う)。

先の私観条件でいえば、ニュータイプとされるのはなにも何も宇宙世紀の連中だけではない。リリーナと出会ってからのヒイロもそうだろう。DOMEによって否定されたが、全肯定でガンダムを語ればティファなどはその代表格だ。そして、あのロラン・セアック――。
何も、何一つ持たない彼こそが、私には最もニュータイプに近い人物と思える。
(ところで、先程の私的なニュータイプ定義にもうひとつふたつ加えてもいい。それは「やたら独り言の多い人々」、「作者の都合によって様々な霊的奇跡が起こる人々」――笑)

新書版では終盤、ロランと崩れゆく∀とのやりとりを覗うことができる。
そしてロランは知る。自らが∀に選ばれた理由と、その理由の中にある古代人たちの考えの狡さを。
――だが、ロランに見抜かれる古代人の知恵とは一体何なのだろう。
技術力に頼り、地球をひとつの永久機関とした古代人。そこに住まう人々のメンタルの面を一切無視して地球の永遠を望んだ彼らはニュータイプではない。滅びるべくして滅び、その子々孫々までもが業に縛られて生きる定めにあるのだ。ロランなどは、∀が苦慮の末ようやく見付けたミュータント、かつてのアムロたちと同じ、兵器に魅入られた偶然の産物に過ぎないのだろう。

ニュータイプへの進化を果たすことで戦争を乗り越え、外宇宙へと旅立っていった人々と、進化を果たせず戦争を必要悪として、妥協をしてしまった人々。破壊と創造の繰り返しによって螺旋を描き、いつかは「高みに至ル」と信じた彼らの足掻き。

結局ディアナは、グエンやアグリッパの望むなまじの発展を跳ね除け、元々人類が営んできた土と死のある生活に立ち戻ることを人々に説くのだが、これはニュータイプへと進化できなかったオールドタイプが、反動的にも一周廻って逆にアーキタイプたらんとした諦めというより悟りが観て取れる。
ディアナの目指したものは、「退化」という形をとった進化なのではないか――。
彼女が地球に望んだものは、望郷の念より発する「帰還」ではなく、ムーンレィスのアーキタイプへの発展を企図しての「進出」ではなかったのかと、そのように察するのだが如何なものだろうか――。